石川近代文学館建物の沿革 

             本館の赤煉瓦建造物は、明治22年(1887年)起工、24年8月に竣工し
           翌年から第四高等中学校校舎として使用された。工事の設計は明治初期に
           第2回海外留学生となり、パリのエコール・サントラールに学んだ、山口半六
           と西洋建築の導入に功績のあった久留正道である。やがて明治27年には、
           第四高等学校と改称、《学都金沢》の象徴として県民に親しまれ、数々の人
           材を政財界及び学界に送り出してきた。戦後、昭和25年3月、四高閉校とと
           もに金沢大学理学部、ついで金沢地方裁判所にあてられた。昭和41年に、
           本館が石川県へ無償貸与され、県立郷土資料館として保存活用することに
           決定した。 なお、昭和43年11月8日には、文化財審議会が赤煉瓦校舎を
           重要文化財指定とする旨文部大臣に答申し、翌44年3月12日、国指定の
           重要文化財となった。その後、県立郷土資料館が手狭になったため、昭和
           61年4月末に本多の森公園の赤煉瓦棟(かつての旧陸軍兵器庫、戦後は
           金沢美術工芸大学として活用)に移転したことにより、順次、展示室及び管
           理棟の整備を行い、昭和61年10月25日(旧第四高等学校開学百年祭の
           日)に石川近代文学館として全館新装開館の運びとなった。



                            四高記念室  
               近代文学館の2階には、古き良き時代を彷彿とさせる、四高記念室が
            あり、同窓生のみならず、当時の学生生活や建築様式に興味をお持ち
            の方々でにぎわっています。      


              四高記念室 1      草創期の四高から閉校まで
             四高記念室 2   
   北辰会と南下軍
             四高記念室 3       時習寮と塾の生活

                      四高三人像(銅像)
              
                  四高三人像
                          
                           四高寮歌集から「南寮々歌」(北の都)をMP3で聴くことができます。