高 田  宏 (たかだ ひろし)  
 昭和7年〜 (1932〜)


 小説家。京都府生まれ。京大仏文科卒。
 幼時から高校卒業まで両親の故郷、石川県加賀市で過ごす。
 雑誌編集者として出発、企業PR誌のイメージを一新した
 「エナジー」「エナジー対話」で評価される。
 『大言海』編者の大槻文彦を描いた『言葉の海へ』(昭和53年)で
 大佛次郎賞・亀井勝一郎賞を受賞。
 後、作家活動に入り、『木に会う』(昭和64年、読売文学賞)
 『われ山に帰る』(平成2年)『荒ぶる自然』(平成9年)などの
 ほか、小説『島焼け』(平成9年)などがある。






谷 口 吉 郎 (たにぐち よしろう)
 明治37年〜昭和54年(1904〜1979)


  建築家、随筆家。金沢市生まれ。
 東大建築学科卒、東工大教授(工学博士)。
 後、谷口吉郎建築設計研究所開設、博物館明治村館長に就任。
 島崎藤村記念堂(昭和22年,日本建築学会作品賞)、
 東宮御所(昭和36年、日本芸術院賞)など数多く設計、受賞。
 芸術院会員、文化勲章受章。文人との交友も深く、
 徳田秋声文学碑はじめ数々の文学碑を設計。
 『雪あかり日記』(昭和22年) 
 『修学院離宮』(昭和31年、毎日出版文化賞)
 『建築に生きる』(昭和49年)『記念碑散歩』(昭和54年)などの
 著作がある。





中 西 悟 堂 (なかにし ごどう)
 明治28年〜昭和59年(1895〜1984)


 歌人、詩人、野鳥研究家。金沢市生まれ。幼名富嗣。
 幼時父母を失い、伯父 中西悟玄の養子となる。
 天台宗、曹洞宗学林に学び、天台宗深大寺で得度、法名悟堂。
 僧務のかたわら歌集『唱名』(大正5年)
 詩集『東京市』を刊行(大正11年)。
 その後、野鳥観察に没入、日本野鳥の会を結成、
 「野鳥」を創刊(昭和9年)、野鳥文学を拓く。
 『野鳥と共に』(昭和10年)
 『野鳥と生きて』(昭和31年、日本エッセイストクラブ賞)刊行。
   詩歌なども収めた『定本野鳥記』全16巻(昭和61年)がある。
 文化功労者。





中 谷 宇 吉 郎 (なかや うきちろう)
 明治33年〜昭和37年(1900〜1962)


 物理学者、随筆家。石川県加賀市生まれ。東大物理学科卒。
 在学中から寺田寅彦に師事、卒業後、理科学研究所寺田研究室の
 助手、英国留学の後、北大助教授(理学博士)、教授となり、
 雪の結晶の研究(日本学士院賞)、
 凍上の研究(日本学術協会賞)を行う。
 戦後は、農業物理研究所長、渡米して雪・氷・永久凍土層研究所
 顧問研究員、国際雪氷学会副委員長などを歴任。
 この間、寺田寅彦の衣鉢を継ぎ、『冬の華』(昭和13年)をはじめ
 多くの随筆集を刊行。







深 田 久 弥 (ふかだ きゅうや)
 明治36年〜昭和46 年(1903〜1971)

 小説家、登山家。俳号九山。石川県加賀市生まれ。
 東大哲学科中退。
 在学中『オロッコの娘』を発表して認められ作家生活に入る。
 『津軽の野面』(昭和10年)『知と愛』(正続・昭14・18年)
 『親友』(昭和18年)のほか山岳紀行文集『わが山々』(昭和9年)
 『山頂山麓』(昭和17年)などを刊行。
 戦後、一時郷里の大聖寺、金沢に住む。
 主として山岳随筆やヒマラヤ研究に力を注ぎ、
 『日本百名山』(昭和39年、読売文学賞)、
  『ヒマラヤの高峰』(昭和40年)などを刊行。
 甲州茅ヶ岳登山中に急逝。