北 村 喜 八 (きたむら きはち)
明治31年〜昭和35年(1898〜1960)
演劇家。石川県小松市生まれ。東大英文科卒。
築地小劇場に参加、数多くの欧米戯曲を翻訳、演出も担当。
一方、「劇と評論」に戯曲や詳論を発表。
劇団分裂(昭和4年)後、劇団築地小劇場主事。
解散後、日大芸術科演劇主任講師となる。
妻村瀬幸子と芸術小劇場を結成(昭和12年)、
自作『美しき家族』などを上演し、芸術至上主義の立場を貫く。
戦後は国際ペン大会(昭和25年)に日本代表として渡欧、
帰国後、国際演劇協会日本センター設立に尽力、
初代理事長となる。
桜 田 常 久 (さくらだ つねひさ)
明治30年〜昭和55年(1897〜1980)
小説家。筆名並木宗之介。大阪生まれ。東大独文科卒。
日大、明大で独語を教える。その後、半農生活に入る。
やがて小説に専念、歴史小説『薤露の章』が芥川賞候補となり、
『平賀源内』(昭和15年)で芥川賞受賞。
戦中は、『従軍タイピスト』(昭和16年)
『最後の教室』(昭和17年)などの時局小説、
『艦上日記』(昭和18年)などの従軍小説を発表。
戦後、民主文学同盟に参加、かたわら伝記小説を書き続け、
『探求者』(昭和21年)『安藤昌益』(昭和44年)
『画狂人北斎』(昭和46年)などを刊行する。
杉 森 久 英 (すぎもり ひさひで)
明治45年〜平成9年(1912〜1997)
小説家。石川県七尾市生まれ。東大国文科卒。
教員、雑誌編集者を経て、戦後「文芸」の編集長となる。
『猿』(昭和28年)が芥川賞候補となり、以後文筆生活に入り、
『黄色のバット』(昭和34年、直木賞候補)などのユーモア小説、
『回遊魚』(昭和38年)などの社会風刺小説に新生面を拓く。
一方、『天才と狂人の間』(昭和35年、直木賞)で伝記小説
作家の位置を確立、『辻政信』(昭和38年、文藝春秋読者賞)
『天皇の料理番』(昭和54年)などのほか、自伝小説『能登』
(昭和59年、平林たい子文学賞)がある。
高 橋 治 (たかはし おさむ)
昭和4年〜 (1929〜)
小説家。千葉県生まれ。東大国文科卒。
松竹に入社、小津安二郎に師事。
監督業のかたわら戯曲を発表。
退社後『白鳥事件』『告発』の作・演出(昭和52年)で
芸術祭奨励賞、小野宮吉戯曲平和賞受賞。
小説は、『派兵』(昭和52年、泉鏡花記念金沢市民文学賞)
『秘伝』(昭和52年、直木賞)『絢燗たる影絵』(昭和57年)
『名もなき道を』『わかれてのちの恋歌』(昭和63年、
柴田練三郎賞)『流域』(平成元年)など、ドキュメントから
恋愛小説、警察ものまで幅広い作風を持つ。
中 野 重 治 (なかの しげはる)
明治35年〜昭和54年(1902〜1979)
小説家。福井県生まれ。東大独文科卒。
在学中からプロレタリア芸術運動にかかわり、
卒業後、「プロレタリア芸術」を編集、プロレタリア文学運動の
中心となる。思想弾圧で検挙(昭和7年)、転向後、『村の家』
(昭和10年)『汽車の罐焚き』(昭和12年)
『歌のわかれ』(昭和14年)などを発表。
戦後、「新日本文学会」を創設、参議院議員としても活躍。
その後、『むらぎも』(昭和29年、毎日出版文化賞)
『梨の花』(昭和34年、読売文学賞)
『甲乙丙丁』(昭和44年、野間文芸賞)などを刊行。朝日賞受賞。
森 山 啓 (もりやま けい)
明治37年〜平成3年(1904〜1991)
小説家、詩人、評論家。本名森松慶治。新潟県生まれ。
東大美学科中退。在学中からプロレタリア文学運動に参加、
詩集『隅田河』(昭和8、発禁)『文学論』(昭和10年)を刊行。
『収穫以前』(昭和12年)で作家として出発、『遠方の人』
(昭和16年)『海の扇』(昭和17年、新潮社文芸賞)を刊行。
戦中、妻の故郷小松市に移住、
『青海の簾』(昭和31年)『市之丞と青葉』(昭和45年)を、
松任市に移り『野菊の露』(昭和55年)、
自伝小説『谷間の女たち』(平成元年)を刊行。
北国文化賞、小松市文化賞、中日文化賞受賞。